受験算数を見据えた意味のある学習とは?

 日々の学習 → 週例・月例テストや模擬試験 → そして受験本番。これらはスポーツに例えれば、日々の練習・トレーニング → 練習試合 → 〇〇大会となりますね。普段の練習で行っていることと同様の振る舞いをすれば、相応の戦績を出せる。スポーツや習い事ならばみんな当たり前に認めることですが、これが勉強、特に算数になるとチョット違った現象が起こります。

 日常の学習でノートに途中式などをきれいに書ける子が、テストになったとたんにしっちゃかめっちゃか。問題用紙の余白部分のあちらこちらに計算を書き散らす。文字も斜め書き。計算問題は早く済ませて後ろの大問に時間をまわそうと思うのか、ガチャガチャとやってその結果が計算ミス。普段丁寧に描いている面積図や線分図もいい加減な描き方だったり、省略したり、全く使わなかったり。普段とやってることが全然違う。 右利きのバッターが試合の時に左打席に立ったり、利き足が右の選手がフリーキックで今日は左で決めてやろう!というのと同じ。例え話で納得する生徒も自分のこととなるとなかなか…。

 「全部解かなきゃ」という強迫観念も働いているのでしょうが、まずは解いた問題は確実に正解する、という意識を持たせないといけないし、全部解く必要はないんだと安心させなくてはいけない。
どの学年でも日々の学習が受験指導

 当然ノートの使い方、重要な文字・記号の書き方も教えますが、それよりも先ずどんなノートを使うべきかの指導から。B5サイズ、罫線7mm幅、30枚、罫線には「点」がないもの。ちゃんと理由があります。詳しくは授業で!

 塾に期待することは、① 学習習慣を身に着けること。② 各分野の話を一通り聞かせてもらっているということ。この2点。②については、ちゃんと理解して覚えろなんてところまでは期待していません。なんかそんな話を聞いたような…程度でいいのです。  家庭教師が週1回の授業でゼロからすべてを教え込むのはちょっと厳しい。でも、あっ、聞いたことある!と反応があれば、「それはね…」と話が進む。

 例題を説明し、類題を解かせ、宿題にも出して反復練習で習得させる。少し間をおいて再度確認することもこちらでちゃんと指示する(改めて宿題に出す)。 忘れていればもう一度解説。何度も繰り返して確実に身に着けさせる。
模擬試験って・・・?

 週例・月例テストや模試って何のためにあるのでしょう?  偏差値を出し、それをもとに志望校を決めるため?いいえ、違います。その生徒の、その時点での理解度・習熟度をチェック・確認するためのものです。解けない問題があれば、理解が十分でない項目を発見できたことになり、それはむしろ喜ばしいことなのです。

 そしてこれは過去問を解く場合でも同じです。何点取れたのか、合格最低点を超えたのか等々気になるでしょうが、それは一先ず置いといて、テストであれば問題用紙の書き込み、過去問であればノートをのぞき込み、
  1. 出来た問題であれ、不正解の問題であれ、解き方は本当にそれでよかったのかを一緒に吟味する
  2. 不明点を理解・納得させた後、類題で解き方を練習・習熟させる
  3. 奇問・難問を指摘し「こんな問題は解かなくていい」と安心させる
    → 入試本番でそれを自力で判断できる感覚を磨き上げる
  4. 生徒の得意・不得意、習熟度を考慮し、その生徒にとってその時点での「捨て問」を指摘する
    大切なのは、解くべき問題の優先順位の付け方を身につけること
  5. 「この問題は君の実力なら解けたハズだね。何で間違えたんだろう?」
    「なぜこの問題にそんなに時間がかかったのかな?」
    「そんな思い違いをしたのは何故?」など、真の意味での反省を促す
 つまり、やることはいつも一緒。でも、志望校の過去問になると生徒の取り組み方、問題に対する執着の度合いがガラッと変わります。当然ですね。志望校の過去問を解く。1回分を制限時間の中で必死になって解く。これが、それまでの学習とは全く異質で大きな吸収力を生む原動力になる。解説を聴くときの集中力も類題を解くときの真剣さも全然違ってくる。そして、本当の解答力は12月・1月になってぐんぐん増してきます。

 我々家庭教師の仕事は、
  × 基本的な問題にしか使えない解き方
  × 特殊な状況でしか使えない、応用が利かない解き方
  × このときはこう、そのときは…と、一貫性が無く負担のかかる解き方
などを徹底的に排除して、早い時期に無駄の無いスマートな解き方を伝えること!