算数 ~ 真に受験に必要な高密度の学習
・・・ ハードスケジュールからの脱却
でも、ちゃんと理由があるのです。 ◇ あれもこれもと無理・無駄が巧妙に組み込まれた密度の薄いカリキュラム ◇ 各教科でこれでもかと課題が出され、本当に習熟すべき事柄に時間を割けない ◇ だからいくら螺旋的なカリキュラムでも、課題の洪水に溺れ取りこぼしだけが増えていく 学習効果が希薄なんですね。結局4年、5年と時間だけが流れ去る…。 しかも、親御さんもお子さんも、授業についていけないのはこちらが悪い、勉強の仕方が悪いのだと、 盲目的にオプション講座を追加…。 そして6年の秋、さらにスケジュールは過密になり・・・ こんな、めまいを起こしそうな負の連鎖は早く断ち切って、 真に受験に必要な高密度の学習を始めましょう。 |
それ以外は出題傾向の似た学校をまとめたと称するクラスになります。 つまり、自分の志望校以外の過去問まで解かされ解説を受ける。 集団授業である以上、自分が分かっていようがいまいが一方的に解説され、内容的には非常に密度が薄くなる。 時間の無駄ですね。 あるいは、各自の志望校の過去問を解いて採点し、答案用紙を先生に見せて(提出して)終わり…という塾もあるようです。 勉強場所の提供だけですね。個別に少しぐらいは解説してくれるのかな? また、どのクラスであれ第2・第3志望…については自分でやることになりますね。 |
それによって本人が志望校の出題傾向を体感します。 例えば「計算問題は毎年2つ出るんだ」とか「速さの問題は毎年出てるけど流水算は出てないな」とか 、そんな感じでいいのです。 それを得意げに話してくれるようになればしめたもの! 本人が集中してじっくりと解き何かを感じ取っていなければ、我々教師がいくら出題傾向を説明しても実感は湧きません。 そしてそれからが我々家庭教師の仕事。生徒が直に触れた過去問の中で、
これが、それ以前の学習時期とは全く異質の大きな吸収力を生む原動力になります。 解説を聴くときの集中力も、類題を解くときの真剣さも全然違う。 過去問を解き始めた頃は思うように完答に至らなくて当然。 12月・1月になってぐんぐん解答力が増してくるのです。 私たちはそのような奇跡(本当は至極当然のこと)を毎年目の当たりにしています。 では、全範囲をまだ学び終えていない時期の指導は? どうやって解いたのかを他の人が見ても分かるように表現する。 解き方 = 結果に至る過程 = outputの仕方ですね。 6年夏までは、この「outputの仕方」を頭の中にinputする時期。 ここでヘンなものをinputされたらたまらない! だから、我々家庭教師は、解けた問題であれ、間違えた問題であれ、解けなかった問題であれ、 生徒のノートや各種テストの問題用紙を覗き込みます。 やり方がおかしいのに正解だったなんていう場面に毎年何度も出会うんです。 × 一番基本的な問題にしか使えない解き方 × 特殊な状況でしか使えない、応用がきかない解き方 × このときはこう、そのときは…と、一貫性が無く負担のかかる解き方 こういったものを排除して、早い時期に無駄の無いスマートな解き方を生徒に伝えたい! |
算数でも理科でも、6年夏までの学習指導に際して非常に大切なことがあります。 塾での授業形態は、導入 & 解説 →[問題演習→その解説]→[ ]の繰り返し。 テキストの問題は様々なパターンを含み、易から難に配列されていますから、 これで難しい問題も解けるようになるぞ~♪ですね。この流れはいいのです。 でも、その分野を理解し問題を解く上で何が一番根本・本質で何が枝葉なのかという部分が強調されない。 その結果、生徒の頭の中は知識や解き方が平面的に混在するだけなのです。 本来知識とは階層的なもの。アタマの中の記憶構造もまた階層的です。 中心に据えるべき根本原理は何か。 実践的に言えば、「この4項目を理解し覚えれば図形の面積比の問題は9割方解ける!」、 理科であれば「この分野のポイントはこれ!」と、紙1枚に大きく書いて見せる、等々。 知識の核・問題解法のキモを、極力シンプルな形で生徒に提示する。 そうすれば生徒の頭の中に考える筋道・拠り所が出来上がります。 「こんな問題解いたことない(から解けな~い!)」と言う生徒がいます。 それは問題を解くことが、「知っていること」と「目の前の問題」との単なるパターンマッチングになっているからです。 覚えた解き方に合わなければそこで思考停止。実際には考えているのですらありません。 問題を解くために本当に必要な知識の核とそれに連なる階層的な知識構造をコンパクトに頭の中に構築してこそ、 はじめて生徒自身が本当に「考え」て問題を解く次元に立てるのではないでしょうか。 |