~ 塾的な、あまりに塾的な、社会科学習 ~


 ある塾で日本国憲法の前文を暗記するよう指示が出た。 塾教師によると入試によく出るらしい。よくもこんな大嘘がつけるものだ。 塾内のテストに出すからとか、入試に出るからとか言われれば、子供たちは必死で暗記に努めるだろう。 なんて酷い話だ。 拷問にも等しい仕打ちだ。 こうまでしないと間が持てないのか。 無駄なことはやめて、他の教科の勉強にその分時間を回せといえる、太っ腹な社会科教師はいないのか。 教科間の縄張り意識やちっぽけなプライドは捨てるべきだ。 第一、憲法前文、あれは日本語ではない。 関係代名詞や接続詞でつないだ冗長な英文を翻訳したものだから、実に読みにくい。 日本語の美意識からかけ離れた、とても読むに堪えない悪文だ。 そんな代物を暗記させようとする感性が受験勉強を歪めている。

 こんなのもあった。 江戸時代の三大改革の一つ、寛政の改革の「棄捐令(きえんれい)」を漢字指定で書かせる暗記用教材。 これも同じ塾だ。 本当に必要なんでしょうかね。 読めるだけで十分でしょうに。 一事が万事こんな有様では身も心も持たない。 受験生諸君、大変だろう。 社会科の勉強に正義はないのか。 生徒にも教科にも罪はない。 悪いのは無駄と知りながら、あるいは知らずにその「無駄」を教える教師だ。

 受験社会の学習法はいたって単純だ。 入試に出るものは出る、出ないものは出ない、これを確認するだけでよい。 塾の教材では分からないし、教えないから調べるしかないが、これは簡単。 過去問集を見ればよい。 出来る、出来ないは別問題で、同じテーマの文脈の類題で同じ解答が頻出することに気付けば、それが覚えるべき対象なのだ。 地理なら地理、歴史なら歴史を、横断的に何校分もやってみると入試問題の文脈というものが分かる。 1回2時間の授業で何校分も出来る。 本当に無駄がなくてストレスも溜まりません。